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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)4537号 判決 1990年8月06日

原告

松本有子

被告

積水ハウス株式会社

ほか二名

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、一二五八万八九八三円及びこれに対する昭和五九年五月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、九七五二万九一九三円及びこれに対する昭和五九年五月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五九年五月二〇日午前八時五〇分ころ

(二) 場所 京都府福知山市字内記一三番地の一先路上(市道福知山停車場長田線、以下、「本件事故現場」という。)

(三) 第一加害車両 普通乗用自動車(登録番号、京五六も九〇二四号、以下、「藤本車」という。)

右運転者 被告藤本俊治(以下、「被告藤本」という。)

(四) 第二加害車両 普通乗用自動車(登録番号、京五六み四八七〇号、以下、「中島車」という。)

右運転者 被告中島敏郎(以下、「被告中島」という。)

(五) 被害者 原告

(六) 態様 本件事故現場の交差点を東から西へ進行中の藤本車が、折から同交差点に西から進入して南方向へ右折中の中島車と衝突し、その衝撃で同交差点南西角付近を自転車に乗つて西進していた原告に衝突した(以下、「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告積水ハウス株式会社(以下、「被告会社」という。)の責任

被告会社は、本件事故当時、藤本車を自己のために運行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告藤本の責任

被告藤本は、藤本車を運転し、前記道路を西進してきて本件事故現場の交差点を直進すべく時速四〇ないし五〇キロメートルで進行中、右交差点手前において、前方の対向車線の中央線寄りを東進してくる中島車を認めたのであるから、このような場合運転者としては、同車の動静に注意して減速しながら進行すべき注意義務があったにもかかわらずこれを怠り、漫然とそのままの速度で右交差点に進入した過失により、藤本車を右折中の中島車に衝突させて本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償する責任がある。

(三) 被告中島の責任

被告中島は、中島車を運転し、前記道路を東進してきて本件事故現場の交差点を南方向へ右折しようとしていたものであるが、このような場合運転者としては、前方を注視して西行車両の有無を確認すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠り、漫然と右折した過失により、中島車を藤本車に衝突させて本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告が被つた損害を賠償する責任がある。

(四) 被告らの責任関係

以上の被告らの不法行為責任は、民法七一九条所定の共同不法行為の関係にあるから、被告らは、各自、原告に対し、後記全損害を賠償すべき責任がある。

3  損害

(一) 受傷、治療経過等

(1) 受傷

原告は、本件事故により、右大腿骨骨折、右下腿骨開放性骨折、右膝下部に二七センチ×一・五センチの横断創傷等の傷害を受けた。

(2) 治療経過

原告は、前記傷害の治療のため、次のとおり入通院して治療を受けた。

<1> 昭和五九年五月二〇日から同年六月一四日まで国立福知山病院(以下、「福知山病院」という。)に入院

<2> 昭和五九年六月一四日から同年七月二二日まで医療法人せいわ会たずみ病院(以下、「たずみ病院」という。)に入院

<3> 昭和五九年七月二三日から同六〇年一月二三日まで同病院に通院

<4> 昭和五九年五月二〇日から同六一年一二月一〇日まで松本脳神経外科・内科病院(以下、「松本病院」という。)に通院

<5> 昭和六二年七月二六日から同年八月四日までたずみ病院に入院

<6> 昭和六二年九月一七日に大阪赤十字病院に通院

なお、このほかに、原告は、昭和五九年七月二三日から同六二年九月一七日まで松本鍼灸接骨療院(以下、「松本療院」という。)において鍼灸・マツサージ治療を受けたほか、京都府立医科大学附属病院に一回、東京女子医科大学附属病院に三回通院し、さらに、昭和六三年七月一五日から同年八月一〇日まで昭和大学病院に入院して右膝下部の醜状瘢痕の形成手術を受けた。

(3) 後遺障害

原告は、前記のとおり治療を受けたが、完治するに至らず、次のとおりの後遺障害を残して昭和六二年九月一七日、その症状が固定した。

すなわち、原告は、右膝関節の拘縮による運動機能の著しい障害(原告の右膝関節の可動域は、自・他動とも、屈曲で約九〇度、伸展でマイナス五ないし一〇度であり、左膝関節の可動域が自・他動とも、屈曲で約一五〇度、伸展で〇度であるのに比べると、六割以下に制約されているうえ、外側側副靱帯がやや緩んでいる。)のために、正座や疾走が不可能であるほか、右足関節にも屈曲機能の障害があり、右臀部に長さ一一センチの手術瘢痕、右膝前部に長さ二〇センチの創傷後の横走瘢痕、右膝下部に一一センチ×九センチの醜状瘢痕がそれぞれ残つている。さらに、原告の前記右膝下部の創傷が筋肉層に及ぶものであつたことに加え、前記骨折の手術ののちに右膝下部に生じた壊死創の治療のために掌大の皮下組織を取り除かざるを得なかつたことから、多くの知覚神経や静脈・リンパ管等が損傷され、そのため原告の右下腿部に知覚鈍麻が生じたほか、右下肢に絶えず浮腫が生じるとともに、右下肢が疲労し易くなつて、三時間程立位を継続すると、右膝関節痛、右下腿の充血感、右足関節の腫脹等の症状がひどくなるため、立位での作業等を中断せざるを得なくなる。

以上の原告の後遺障害は、右膝関節の機能障害が自賠法施行令二条別表の後遺障害等級表一〇級一〇号に該当ないしはこれに準ずるものであり、その他の障害と合わせて同表の併合九級に相当するものというべきである。

(二) 損害額 一一二三万〇六四〇円

(1) 治療費

原告の前記治療のために以下のとおりの治療費を要した。

<1> 福知山病院 一〇九万一三九〇円

<2> たずみ病院 二七二万八五八〇円

<3> 松本病院 五六六万七八〇五円

<4> 大阪赤十字病院 一万三三六〇円

<5> 松本療院 九三万円

同療院における鍼灸・マツサージ治療は、原告の右膝の拘縮が強度なうえ、前記の知覚神経や静脈・リンパ管等の損傷により、右下腿部の充血感や腫脹がきわめて強いため、訴外松本喜志夫医師(以下、「松本医師」という。)の指示により行つたものである。

<6> 昭和大学病院 七九万九五〇五円

昭和大学病院での右膝下部の醜状瘢痕の形成手術は症状固定後の治療ではあるが、独身女性である原告がわずかでも瘢痕が薄らぎ見映えがよくなることを望むのは当然であり、右手術治療の必要性は肯定されるべきである。

なお、<2><3>の治療費の単価は、それぞれ一点三〇円と二五円で算定されているが、交通事故による受傷については自由診療による治療が一般的であつて、その単価も右程度は自由診療の治療費としては通常のものであり、松本病院での治療費についても、原告は右足の開放性複雑骨折等の重傷を受けているのであるから、単に同病院を経営している松本医師が原告の父親であるというだけで自由診療に相当性がないとする理由はなく、その治療費も当時の京都府における自由診療の協定基準単価に基づいて算定されたものであるから、相当性が否定されるような高額なものではない。

(2) 付添看護費 二五八万九五九〇円

原告は、本件事故以降、昭和六〇年一月三一日まで付添看護を必要とし、その間家政婦の付添を受け、その費用として一二二万三四八〇円を要したほか、当初は昼夜を問わず激痛に襲われたため、前記家政婦の仮眠中等にも補助的付添を必要としたので、昭和五九年八月二〇日まで付添補助婦を雇用し、その費用として一日三〇〇〇円、計二七万九〇〇〇円を、さらにたずみ病院入院期間のうち三二日は、原告の母がたずみ病院まで往復して付添い、その交通費・寝具費・食費として計一〇八万七一一〇円をそれぞれ要した。

(3) 治療諸経費 四一万八九六〇円

原告は、本件事故による受傷の治療のために、以下のとおりの諸経費を要した。

<1> 車椅子(患者負担で松本病院から買取) 九万五〇〇〇円

<2> 松葉杖(同右) 七二〇〇円

<3> エアーマツト(同右)一四万八〇〇〇円

<4> 読書器一台 六〇〇〇円

<5> 便器及びおむつ九〇日分 三万九〇〇〇円

<6> バスタオル(術後用、二回) 二万八〇〇〇円

<7> 綿花 八五〇〇円

<8> 付添ベツド代(一台) 二万九〇〇〇円

<9> 着物三枚(術後用) 二万四〇〇〇円

<10> 特殊ベツド貸出料(一日三〇〇円、三〇日) 九〇〇〇円

<11> マツト貸出料(一日一〇〇円、三〇日) 三〇〇〇円

<12> ベツド用机貸出料(一日一〇〇円、三〇日) 三〇〇〇円

<13> 洗髪車貸出料(一回一五〇円、八回) 一二〇〇円

<14> 酸素ボンベ車貸出料(一日一五〇円、三〇日) 四五〇〇円

<15> ホツトパツク貸出料(一日二〇〇円、三〇日) 六〇〇〇円

<16> 歩行器貸出料(一日一〇〇円、三〇日) 三〇〇〇円

<17> 電話代(たずみ病院入院中) 四五六〇円

なお、<10>ないし<16>は昭和五九年七月二二日から同年八月二〇日までの間の松本病院からの借受代金である。

(4) 医師謝礼 一一九万五〇〇〇円

<1> 原告は、事故当日福知山病院に入院し、救急手術を受けたが、当時出血多量、外傷性シヨツク等のために重篤な状態にあり、麻酔及び輸血にも万全を期する必要があつたにもかかわらず、当日は日曜日で同病院には医師が一人しかいなかつたので、右手術に際して、民間医二名に手術助手を依頼し、右二名の医師に対し各五万五〇〇〇円の謝礼を支払うとともに、執刀医に対しても一五万五〇〇〇円の謝礼を支払つた。

<2> 原告は、昭和五九年六月七日、福知山病院において、右足の軸内固定術を受けたが、その際、前記手術後の経過が思わしくなかつたので、前回同様民間医二名に手術助手を依頼し、前回同様合計二六万五〇〇〇円の謝礼を支払うとともに、右医師らに対して飲食物を差入れ、その費用として三万五〇〇〇円を要した。

<3> 原告は、前記軸内固定術実施後も骨折の整復固定が完全ではなく、骨髄炎や仮関節発生の可能性もあつたため、その父松本医師の知人で、骨折の治療に熟達した専門医がいるたずみ病院に転院のうえ、昭和五九年六月二〇日に同病院で再手術を受けたが、そのころの原告の状態はきわめて悪く、右手術は、最悪の場合右足切断の恐れもあるという非常に困難なものであつて、神戸大学医学部附属病院の整形外科医四名の応援のもとに行われたので、執刀医に対し一五万五〇〇〇円、応援医四名に対し各一〇万五〇〇〇円、計五七万五〇〇〇円の謝礼を支払うとともに、右医師らに対して飲食物を差入れ、その費用として五万五〇〇〇円を要した。

我が国においては、困難な手術をしてもらう際に執刀医や立会医に多額の謝礼を支払うことは儀礼として半ば習慣化されており、以上の謝礼は社会通念上も相当なもので、本件事故による損害というべきである。

(5) 看護婦謝礼 四三万円

原告は、福知山病院及び当初のたずみ病院への入院時、全く身動きができなかつたうえ、症状も思わしくなく、激痛を訴えることが多かつたため、看護婦に精神的に強く依存しており、また実際に世話になることが多かつたので、福知山病院の婦長に対し五万五〇〇〇円、同主任担当看護婦二名に対し計一〇万五〇〇〇円、たずみ病院の婦長と主任担当看護婦二名に対し各五万五〇〇〇円、同病院の原告を担当する看護婦詰所の看護婦二〇名に対し計一〇万五〇〇〇円、合計四三万円の謝礼を支払つたが、これも前記医師謝礼と同様の理由で、本件事故による損害というべきである。

(6) たずみ病院への転院及び通院費用 六四万七五〇〇円

<1> 原告は、前記の経過でたずみ病院(兵庫県加古川市所在)へ転院したが、右転院に際して、当初は松本医師の使用しているワゴン車での移送を予定していたところ、当時原告は寝たきりの状態のうえに受傷部に強い痛みがあり、右ワゴン車では振動による激痛を訴え長距離の移送は不可能な状況であつたので、急遽同医師が所有するフオード車の後部座席をできるだけ振動を生じない様に改造して移送することとし、その改造費用として一六万三〇〇〇円、復原費用として四万三〇〇〇円、計二〇万六〇〇〇円を要した。

<2> 右移送に際しては、移送中の不測の事態に備えるため、松本病院の看護婦ら九名を前記フオード車と他の二台の自動車に分乗させ、さらに深夜にたずみ病院に到着したことから、右のうち六名を旅館に宿泊させ、結局、右輸送のために車の経費として六五〇〇円、付添費として一一万九〇〇〇円、宿泊費として三万円、計一五万五五〇〇円を要した。

<3> 原告は、昭和五九年七月二二日にたずみ病院を退院したのちも同病院へ通院したが、退院直後の同年八月一日と同月一七日の通院時にはまだ強い痛みがあつたため、前記フオード車に松本病院の医師一名及び看護婦らが同乗して付添つてたずみ病院と原告宅との間を往復し、一回につき付添費八万五〇〇〇円、移送費用五万八〇〇〇円、計二八万六〇〇〇円を要した。

(7) 松本医師の付添に伴う松本病院への医師補充費用 四一七万円

原告は、前記のとおり、福知山病院入院中及びたずみ病院入院当初は重篤な状態にあり、また、開放性骨折で感染症発生のおそれもあつたため、当時医学部を目指して受験勉強中であつた原告が一日も早く治癒して勉強を再開できるように、事故当日から昭和五九年八月二〇日まで、平日の昼間以外は原則として松本医師が常時付添つて内科的治療を行い、その間、松本病院には他の医師を補充したので、その費用として合計四一七万円を要した。

(8) 交通費 八万六八六〇円

右付添及び治療のために松本医師が福知山病院へ往復するためのタクシー代及び自宅と同病院との連絡のための交通費として合計八万六八六〇円を要した。

(9) 通信費 六万〇九七〇円

原告は、たずみ病院入院等に伴う通信・連絡のために合計六万〇九七〇円の費用を要した。

(10) 自宅改造費 四一万九五〇〇円

原告は、たずみ病院退院後自宅療養することになつたが、右膝関節の拘縮のために、自宅前の道路から玄関までの階段を支えなしに昇降することができず、また、自宅はトイレが和式で使用不能であつたので、右階段に手摺を設置するとともに、トイレを洋式に改造し、その費用として合計四一万九五〇〇円を要した。

(11) 後遺障害による逸失利益 七六六九万九三〇三円

原告(昭和四二年一月二日生)は、本件事故当時高校三年生で、医師になるため大学医学部の受験勉強に励んでいたが、事故後の昭和六〇年四月に東京女子医科大学に入学し、平成二年六月現在同大学に六回生として在籍しているので、平成三年三月に同大学を卒業し、同年度の医師国家試験に合格して、医師法一六条の二所定の二年間の臨床研修を行つたのち、二六歳から医師として稼働するのは確実であるところ、前記後遺障害により、その労働能力の少なくとも三五パーセントを喪失したものというべきであるから、臨床研修中については平成二年現在の臨床研修医の給与月額一五万二二三〇円を、その後については昭和五九年賃金センサス第三巻第三表の医師の全年齢平均月収である八一万八三〇〇円をそれぞれ基礎収入とし、研修終了後の医師としての就労可能期間を二六歳から六七歳までの四一年間とし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算定した七六六九万九三〇三円相当の得べかりし利益を喪失したものである。

(計算式)

152,230×12×0.35×1.8614+818,300×12×0.35×21.9704=76,699,303

(12) 慰謝料 八四〇万円

原告が前記受傷のために受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は、入通院に対する分として三〇〇万円、後遺障害に対する分として五四〇万円、合計八四〇万円が相当である。

(13) 弁護士費用 八六〇万円

原告は、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として八六〇万円を支払うことを約した。

(三) 仮に、前記(二)の(1)ないし(10)記載の費目の損害につき、主張のとおりの額が認められず、その額が後記損害填補額一四八六万五四九〇円を下回るとしても、原告と被告会社との間には、後記4(二)記載のとおりの示談が成立しており、右示談には、前記(二)の(1)ないし(10)記載の費目の損害から後記4(一)の支払額七八六万五四九〇円を控除した残額が七〇〇万円であることの合意が含まれているから、被告会社に対する関係では、前記(二)の(1)ないし(10)記載の費目の損害として、一四八六万五四九〇円が認められるべきである。

4  損害の填補 一四八六万五四九〇円

(一) 原告は、本件事故につき、被告会社から治療費・付添看護費・入院諸雑費の一部として七八六万五四九〇円の支払を受けた。

(二) さらに、原告は、前記(一)の支払とは別途に、昭和六〇年一月三一日、被告会社から七〇〇万円の支払を受け、その際被告会社との間で、これを原告の本件事故による受傷のため、同日までに積極的に支出した請求原因3(二)の(1)ないし(10)記載の各費目の損害額合計から(一)の支払額を控除した残額に充当する旨の合意(示談)をした。

よつて、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償として、前記残損害金一億〇〇〇八万二八三三円のうち九七五二万九一九三円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五九年五月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)ないし(三)のうち、被告会社が本件事故当時、藤本車の運行供用者の地位にあつたこと並びに本件事故が被告藤本及び被告中島のそれぞれの前方不注視の過失によつて発生したことは、いずれも認めるが、同2(四)は争う。

3  同3(一)のうち、(1)の事実及び(2)(3)の事実中、原告が(2)記載のとおりの入・通院をしたこと(但し、昭和大学病院入院及びその治療内容は除く。)、原告の右膝関節に機能障害、右膝下部に掌大の醜状瘢痕が残存していること、昭和六〇年九月一七日にその症状が固定したことは認め、その余の事実は不知。

原告の右膝関節の機能障害は、「著しい障害」(自賠法施行令二条別表の後遺障害等級表一〇級一〇号)といえる程ではなく、同表一二級七号に該当するにとどまるものである。

4  同3(二)(1)のうち、<1><4>は認め、<2><3>については、<2>につき九〇万九五二六円、<3>につき二二六万七一二二円の限度で認め、<2><3>のその余の部分及び<5><6>は争う。

<2><3>の治療費は一点二五円ないし三〇円という自由診療としてもきわめて高額の単価で計算されているところ、交通事故による受傷の自由診療による治療の診療報酬についても、報酬についての合意がない場合には、原則とし一点単価を一〇円とする健康保険の診療報酬体系が基準とされるべきであるとする裁判例(東京地方裁判所平成元年三月一四日判決)に照らしても、一点単価一〇円を越える部分は不当に高額な治療費として相当性を欠くものというべきであり、特に<3>については、松本病院の経営者は原告の実父であり、健康保険の適用が可能であるにもかかわらず、あえて自由診療による治療を行つて損害を拡大したものであるから、一点単価一〇円を越える部分はより強い理由で相当性が否定されるべきである。また、<5>については、松本療院の経営者が原告の父松本医師の弟の訴外松本庄であるうえ、松本医師以外の医師からの指示はないのであるから、その必要性には疑問があるというべきであり、<6>については、症状固定後の治療費であるうえ、医療費単価も不明であるから、必要性及び相当性のある治療費ということはできない。

5  同3(二)(2)のうち、原告が、昭和六〇年一月三一日まで家政婦の付添を必要とし、右付添の費用として一二二万三四八〇円を要したことは認めるが、その余の事実は不知。その他の付添については、付添の事実があつたとしても、その必要性・相当性を争う。

6  同3(二)(3)については、六万四〇〇〇円(六四日間の入院につき、一日当たり一〇〇〇円)の限度で入院雑費として認め、これを越える部分はその相当性を争う。

7  同3(二)の(4)及び(5)は争う。

これらの支出は、社会通念に照らしてもきわめて高額であり、原告の父が医師てあるという特別の事情によつてこのような多額の支払がなされたものであるから、右支払と本件事故との間に相当因果関係はない。

8  同3(二)(6)は争う。

これらの支出は、いずれも過大であり、原告の父が病院を経営しているという特別事情によるものであるから、必要性・相当性を欠く支出というべきであり、転院については通常の寝台者のレンタカー料金の限度て、通院については車の経費のみが認められるべきである。

9  同3(二)(7)は争う。

主張のとおりの支出があつたとしても、それは松本医師に生じた間接損害であり、そうでないとしても、予見しえない特別事情によつて生じた損害であるから、本件事故との間に相当因果関係はない。

10  同3(二)の(8)、(9)及び(10)は争う。

11  同3(二)(11)は争う。

原告が現在医学部に在籍する大学生であるからといつて、将来の収入について安易に統計上の裏付けに乏しい医師の収入を基礎とすべきではなく、また、原告の右膝の機能障害は、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級表一二級七号に該当するにとどまるうえ、原告は若年者であるから、長期の就労期間中に回復もしくは社会的適応が十分に期待できるものというべきである。そして、現在の障害を前提としても、外科医等の肉体的負担の大きい診療科目の医師となるには多少困難が認められるものの、内科等の医師としては十分に就労可能であり、原告の主張するような大幅な労働能力の低下が六七歳まで継続する可能性はきわめて低く、その労働能力の喪失率はせいぜい一四パーセント程度で、その継続期間も長くても五〇歳までとすべきである。

12  同3(二)(12)は争う。

13  同3(二)(13)は争う。

14  同3(三)は争う。

15  同4(一)の事実は認める。

16  同4(二)のうち、被告会社が、昭和六〇年一月三一日、原告に対し七〇〇万円を支払つたことは認めるが、右支払の際に主張のような合意をしたとの点は否認する。

右金員は、原告が昭和五九年末ころに被告会社に対して各種費用の立替払分として一〇〇〇万円以上の金額を請求してきたのに対して、被告会社が原告の父である松本医師らと協議したうえで支払つたものであるが、その際、右請求の妥当性については何らの交渉もしないで、単なる内払金として支払つたものである。

三  被告らの抗弁

被告会社は、昭和五九年六月二八日ころ、原告に対し、本件事故による交通費損害(タクシー代)分として三三〇〇円を支払つた。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生及び責任原因

請求原因1の事実並びに被告会社が本件事故当時藤本車の運行供用者の地位にあつたこと及び本件事故が被告藤本、同中島の各前方不注視の過失によつて発生したことは、いずれも当事者間に争いがないから、被告会社は自賠法三条に基づき、被告藤本、同中島は民法七〇九条に基づき、それぞれ本件事故によつて原告が被つた損害を賠償する責任がある。そして、右当事者間に争いのない本件事故の態様によれば、被告らの加害行為は客観的に関連共同しているものといえるから、被告らの各不法行為責任は、民法七一九条所定の共同不法行為の関係に立ち、被告らは、各自、原告に対し、後記全損害を賠償すべき責任がある。

二  原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害

1  原告が、本件事故により、右大腿骨骨折、右下腿骨開放性骨折、右膝下部に二七センチ×一・五センチの横断創傷等の傷害を受けたこと、原告が請求原因3(一)記載のとおり(但し、昭和大学病院への入院は除く。)入・通院をしたこと、原告の本件受傷による後遺障害として、右膝関節に機能障害、右膝下部に掌大の醜状瘢痕が残存していること、及び昭和六〇年九月一七日にその症状が固定したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  前記1の争いのない事実に、成立に争いのない甲第一三号証、乙第五号証、同第二九号証、原本の存在・成立に争いのない甲第四号証、同第六号証、同第一一、第一二号証、乙第六六、第六七号証、同第七〇、第七一号証、証人松本喜志夫の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、本件事故により、前記の傷害のほかに頭部・頸部・胸部・右上肢各打撲傷の傷害を受け、その直後に福知山病院に搬送されて入院し、意識障害はなかつたものの、右下腿骨は五個の骨片に分かれた開放性骨折であり、右膝下部の横断創傷(裂傷)も骨に達するものであつて、出血多量により血圧低下が見られシヨツク前の状態であつたので、即日、創の縫合及びワイヤーによる骨折部の牽引等の応急手術を受けた。さらに、原告は、同年六月七日に、右大腿骨骨折につき髄内釘による軸内固定術、右下腿骨骨折につきキルシユナー鋼線による固定術の各手術を受け、右大腿骨についてはほぼ十分な固定が得られたものの、開放性で脛骨と腓骨がともに骨折していた下腿部の骨折は、脛骨の骨折面の接合が完全でなかつたために、皮下出血が止まらず、そのため右下腿の腫脹がひどく、貧血状態もなかなか改善しなかつたうえ、仮関節発生や下肢短縮のおそれがあり、また、骨折端が創面を圧迫していたことから、右下腿骨折部の被覆組織が循環障害により六センチ×五センチの範囲で壊死に陥り、一部皮膚が欠損して瘻孔を形成するとともに下腿骨が露出し、その周辺部も壊死傾向を示していたので、骨髄炎が発生するおそれもあり、右下腿切断の可能性も考えられる状況となつた。そこで、原告は、同年六月一四日、原告の父である松本医師の知人で骨折治療に熟達した訴外田中三郎医師(以下、「田中医師」という。)が在籍するたずみ病院へ転入院し、同月一八日、同医師らによつてプレートによる観血的整復固定術及びギプス固定が施行されるとともに、右壊死部が除去された。右手術の経過は良好で、同年七月二日にはギプスを除去し、同月二二日には退院した。退院時、原告はまだ右下肢への荷重は不可で離床不能な状況であり、右膝下部の創面もまだ閉鎖していなかつたが、右創傷に対する治療は、田中医師の指示に従つて松本医師が行い、原告が杖使用状態で歩行することが可能になつて通学を開始したのは、同年一二月末ころであり、杖を使用しないでも歩行することができるようになつたのは昭和六〇年三月ころで、昭和六二年初めころには跛行もなくなり、それまで続いていた受傷部位の痛みも同年の中ころには消失し、次いで、同年七月二六日から同年八月四日までたずみ病院に入院して・右大腿骨の髄内釘及び右下腿骨のプレートの撤去手術を受けた。

以上のほかに、松本医師は、原告の福知山病院及びたずみ病院入院中、夜間・休日等には右各病院に赴き、原告に付添つて経過観察をするとともに、右各病院の許可を得て、原告の頭・頸部の鞭打ち症状に対する鎮痛剤の投与、湿布等の補助的療法を行つた。

(二)  しかし、右治療にもかかわらず、原告の傷害は完治するには至らず、右膝関節に屈曲が自・他動とも約九〇度の機能障害が残り、また、右下肢の露出面である膝下部に一〇センチ×八・五センチの醜状瘢痕(中央部の二・五センチ×二・五センチの範囲が約三ミリ窪んでいる。)、右膝前部に二七センチ×一・五センチの横走瘢痕が残つている。これらの後遺障害については、前記田中医師により昭和六二年八月一二日にその症状が固定した旨の、大阪赤十字病院の大庭健医師により同年九月一七日にその症状が固定した旨の各診断を受けており、また、自動車保険料率算定会京都調査事務所は、原告の右膝関節の機能障害が自賠法施行令二条別表の第一二級七号に、右下肢露出面の掌大の醜状瘢痕が同第一四級五号にそれぞれ該当する旨の認定をしている。なお、原告は、昭和六三年六月に右下肢の醜状について右調査事務所の担当者の面接調査を受けたのち、同年七月一五日から同年八月一〇日まで昭和大学病院に入院して右膝の醜状瘢痕の形成手術(醜状部分を切除して周囲の皮膚を縫合。)を受けており、これにより前記醜状痕の幅が狭まり外観上一定の改善が見られたが、醜状自体が消失するまでには至らず、膝関節の機能障害には影響はなかつた。

(三)  原告は、前記右膝関節の運動制限により、正座及び疾走は不可能であり、和式便所の使用も困難であるが、その他の動作には特に支障はなく、手摺を持たなくても階段の昇降は可能である。右のほか、原告には、本件事故による受傷ないしは右受傷の治療のための手術侵襲等によつて生じた循環障害があつて、右下腿部に常にうつ血による腫脹があり(右下腿の周径が常に左より一ないし一・五センチ大きい。)、立位や歩行を継続するとこれが増大し、一キロメートル程度歩いたり、立位を三時間程度継続すると、右下腿部にしびれやだるさを感じ、ときに鈍痛を感じることもあるが、外出時にはハイヒールを履くことが多く、平成二年六月現在、東京女子医科大学に六回生として在籍し、東京のマンシヨンの自室で独居して通学中で、体育の授業について特別の措置を受けたほかは、他の学生と同様に一日八時間程度の講義等を受け、そのうち週五回、各回三ないし四時間程度の立位の継続を強いられる実習も、途中で椅子に座つて休息することがあるにしても、これに参加して必要な単位は取得している。また、原告は、父松本医師の後継者として、内科医等に比べると長時間の立位を強いられることが多く、体力的負担も大きい脳神経外科医になることを志望しており、右後遺障害によりこれを断念するまでには至つていない。

なお、原告本人尋問中には、手摺を持たなければ階段の昇降が困難であり、立位を一時間程度、座位でも三時間程度継続すると、しびれやだるさ等の症状が現われ、これらを継続することが不可能になる旨述べる部分があるが、原告自らによる前掲甲第一三号証の記述が三時間程度立位を継続したのちに症状が現われるとしていることや、原告本人尋問中に現われた講義・実習等の履修状況及び証人松本喜志夫の証言に照らしても措信しがたい。また、原告は、右足関節の機能障害、右下肢の知覚障害も主張するが、右足関節については、前掲甲第一二号証によれば、健側との間に可動範囲の有意的な差は認められず、原告本人尋問の結果によつても、しばらく右足関節を動かさなかつたのちにこれを動かすと初めのうちは正常な可動域の範囲までは円滑に動かないという程度のものに過ぎないことが認められるから、労働能力に影響を及ぼす程度の運動制限があるとまではいえず、知覚障害についても、前認定の循環障害による右下腿部の腫脹の増大に伴つて発現する右下肢のしびれ感以外の独立した知覚障害の存在を認め得るような証拠は存しない。

他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

三  損害額

1  治療費 七五一万六一八五円

(一)  原告が、福知山病院及び大阪赤十字病院における治療のために、その主張のとおりの治療費を要したことについては、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない甲第一六号証、乙第六、第七号証の各一、二、同第八号証、同第三九号証、同第七二号証の二及び弁論の全趣旨によれば、原告のたずみ病院における治療費として二七二万八五八〇円が原告に対して請求され、原告と被告会社においてこれを支払ずみであること、及び同病院における原告の治療はすべて自由診療として行われ、右治療費は健康保険の診療報酬基準の一点につきその単価を三〇円として算出していることが認められるところ、被告らは、右治療費は自由診療によるものとしてもきわめて高額であるとして、その相当性を争うのでこの点について検討する。

原告が同病院に入院した当時、交通事故による受傷に対する自由診療による治療の平均的な診療報酬は健康保険の診療報酬基準の二倍(一点単価二〇円)程度のものであつたことは当裁判所に顕著な事実であり、右治療費はそれに比しても高額であるというべきではあるが、前認定の原告の症状経過によつても、同病院における治療内容、特に右下腿骨骨折に対する手術は高度な技術を要するものであつたことがうかがわれ、また、右下腿骨骨折については、前認定のとおり、骨髄炎や仮関節が発生するおそれがあり、右下腿切断の可能性も考えられる状況であつたのに、手術は成功し、比較的軽い後遺障害を残したのみで治癒(症状固定)しており、さらに、証人松本喜志夫の証言によれば、右手術及び術後管理は、神戸大学医学部附属病院の医師の応援を得て行われたことが認められ、これらの点を考慮すると、同病院における治療は、救急車による搬送等により、被害者ないし被害者側の者の意思と無関係に選択されたものではなく、原告の父である松本医師が積極的に選択したものである点を考慮しても、いまだ治療費としての相当性を欠き、本件事故との間の相当因果関係を否定すべき場合に当たるとまでは認められない。

以上によれば、同病院における前記治療費二七二万八五八〇円はすべて本件事故によつて生じた損害であると認められる。

(三)  原告が松本医師の治療を受けたことは前認定のとおりであるところ、原告は、右治療は松本病院の治療として行われ、その治療費の合計額は五五六万七八〇五円であると主張し、被告らはその相当性を争うので検討する。

成立に争いのない甲第一四号証の一ないし一一、同第二一号証の一ないし七、同第二六号証及び証人松本喜志夫の証言を総合すれば、右治療は、松本医院によつて行われた自由診療として扱われ、右治療費について、松本病院名義で治療費合計額右同額の診療報酬明細書が発行されていること、右診療報酬明細書記載の治療費の額は、当時の京都府医師会の交通事故による受傷の自由診療による治療の診療報酬単価についての申し合わせに従つて、事故当日から昭和五九年八月二〇日までの健康保険の診療報酬基準の診療点数五万六六五一点につき一点単価二五円、同月二一日以降の同診療点数一九万三四六九点につき一点単価二〇点で計算し、これにガーゼ等の材料費三八万二一五〇円を加えた総額五六六万七八〇五円とされていることが、それぞれ認められる。しかし、右治療は、前認定のとおり、福知山病院及びたずみ病院へ入・通院中の原告に対して松本医師が自発的に行つた補助的な治療、またはたずみ病院退院後、同病院の医師の指示に従つて行つた右膝下部の創傷に対する治療であつて、特別に緊急性を必要とするようなものではなかつたことが明らかであり、また、前掲各証拠によれば、右治療の内容は、内服薬・外用薬等の投薬、注射及び右膝下部の傷口に対する処置並びに運動療法・理学療法等のリハビリテーシヨン治療が主たるものであつて、そのうちには、治療とはいうものの、後記認定のとおり東京の大学に通学中の原告に対して薬品及び衛生材料を送付したにすぎないものも含まれていることが認められるので、治療内容が特に高度または困難なものであつたということもできない。さらに、証人松本喜志夫の証言によれば、松本病院は松本医師が経営する病院であつて、右治療が行われた当時は医療法人になつていなかつたこと、他方、原告は松本医師の子であつて、同人の被扶養者であることがそれぞれ認められ、右事実によれば、松本病院が原告に対して前記治療費を請求し、原告がこれを現実に支払うというようなことは考えられないから、右治療費については、被害者が医療機関に対して現実に治療費を支払い、または実質的にも治療費の支払債務を負担している通常の交通事故と同視することはできず、これらの点を考慮すると、我が国における一般的な診療費水準である健康保険の診療報酬基準(この事実は当裁判所に顕著な事実である。)を超える高額診療費であつてもこれを加害者に負担させるのを相当とする理由は存在しないというべきである。

従つて、右診療費の全額が直ちに本件事故と相当因果関係のあるものとは認め難く、松本病院における治療に対する相当な診療報酬として本件事故と相当因果関係のある損害と認められる治療費の額は、我が国における一般的な診療報酬水準である健康保険の診療報酬基準の一点単価を一〇円として算出した額である二八八万三三五〇円(前記診療点数の合計に一点単価一〇円を乗じ、これに前記材料費を加算した額)と認めるのが相当であり、これを超える部分については本件事故との相当因果関係を肯定することはできない。

(四)  原告は、松本療院で鍼灸・マツサージ治療を受け、その治療費として九三万円を要した旨主張するが、前掲甲第二四号証、証人松本喜志夫の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第二二、第二三号証及び弁論の全趣旨によれば、右治療費については、そのうち四五万六五〇〇円につき松本療院松本庄名義の概括的な領収書が発行されているものの、その余の部分については領収書さえ存在しないことが認められるうえ、右治療の必要性についても、証人松本喜志夫の証言中には、原告にはたずみ病院退院までの治療で多量の薬剤が投与されていたことから、たずみ病院の田中医師により今後はなるべく理学療法を行うように勧められていたので、右治療を受けさせたと述べる部分があるが、前掲甲第一四号証の一ないし一一及び同第二一号証の一ないし七によれば、原告に対しては、たずみ病院退院後も松本病院により相当多量の薬剤が投与されていること、及び原告に対しては、昭和五九年七月二二日から同六一年一二月までの間に松本病院によつても九万二五六〇点(請求額で一八九万六二〇〇円、前記認容額で九二万五六〇〇円)の運動療法ないし理学療法が施されていることが認められ、さらに、前掲甲第二二、第二三号証によれば、松本療院の治療費中には、昭和六〇年三月から同六二年九月一七日までの治療費四五万六五〇〇円が含まれていることが認められるところ、証人松本喜志夫の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、松本療院の経営者の訴外松本庄は、松本医師の弟で原告の叔父に当たること、原告は昭和六〇年四月に東京女子医科大学に入学しているのであるから、休暇等の期間を除き、東京で居住しているはずであり、しかも、原告の通学している大学は医科大学であるから、附属病院等もあつて容易に治療を受けられるはずであるのに、東京の医療機関で鍼灸・マツサージ等の治療をうけたとして、その治療費を被告らに請求したという事実は存しないことが認められ、これらの点を考慮すると、松本病院で前認定のような運動療法・理学療法を受けながら、これに加えて松本療院で鍼灸・マツサージ治療を受ける必要性があつたとは認め難い。

なお、原告本人尋問の結果中には、二か月に一回位前記松本庄に東京に来てもらつて治療を受けたと述べる部分があるが、二か月に一回程度の鍼灸・マツサージ治療の有効性自体も疑問であるうえ、近くの医療機関を利用しないで福知山市から東京まで出張してもらつて治療を受けること自体相当性を欠くものというべきであり、右供述部分の存在は前記認定を左右するものではない。

従つて、松本療院の治療費については、本件事故との相当因果関係を肯定することはできない。

(五)  原告は、昭和六三年七月に昭和大学病院で右膝下部の醜状瘢痕の形成手術(醜状部分を切除して周囲の皮膚を縫合した。)を受け、これにより前記醜状の幅が狭まり外観上一定の改善が見られたことは前認定のとおりであり、成立に争いのない甲第一八ないし第二〇号証、証人松本喜志夫の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、右治療費として七九万九五〇五円を要したことが認められるところ、前掲甲第一三号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告が右下肢の露出面の瘢痕を大いに苦にしていることが認められ、若い独身女性である原告が、身体の露出面の瘢痕を気にし、形成手術によつてわずかでも見映えがよくなるのであれば、右手術を受けたいと望むのは当然であり、前認定のとおり現実に手術の効果も見られたのであるから、右形成手術の費用は、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(六)  以上によれば、本件事故と相当因果関係のある治療費の額は、合計七五一万六一八五円となる。

2  付添看護費 一三一万九四八〇円

(一)  原告が、昭和六〇年一月三一日まで家政婦の付添を必要とし、その費用として一二二万三四八〇円を要したことは当事者間に争いがない。

(二)  原告は、このほかに昭和五九年八月二〇日まで付添補助婦を雇用し、その費用として一日三〇〇〇円、計二七万九〇〇〇円を要した旨主張し、証人松本喜志夫の証言中には右主張に副う部分もあるが、右費用については、証拠として領収書が提出されていないうえ、成立に争いのない乙第一六ないし第二八号証、同第三九号証、証人松本喜志夫の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第二四号証及び証人福井康雄の証言並びに弁論の全趣旨によれば、被告会社は、本件事故の日から昭和六〇年一月三一日までの間に、家政婦付添費を原告の求めに応じ一二回にわたつて家政婦紹介所に直接支払つている(その合計額が(一)記載の争いのない家政婦付添費用である。)のに、右以外の付添に関する費用については、原告から昭和五九年九月以降に期間・単価・合計額のみをメモ書きして合計二七万九〇〇〇円の付添補助婦代を請求するまでは、何らの請求もされていないことが認められ、これらの事実に照らせば、前記証言のみにより、原告が(一)の家政婦のほかに、付添のために他人を雇用したものとは認め難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  原告は、さらにたずみ病院入院期間のうち三二日は、原告の母がたずみ病院まで往復して付添い、その交通費・寝具費・食費として計一〇八万七一一〇円を要した旨主張するので検討するのに、前掲乙第一六号証、同第一八ないし第二一号証によれば、原告はたずみ病院入院期間中、その初日の昭和五九年六月一四日から同月三〇日までと同年七月一〇日から同月一五日までの計二三日間については、(一)記載の家政婦による付添を受けており、前認定の受傷内容、治療経過(上半身は打撲傷のみで意識障害もない。)からみて右期間にこれに加えて肉親による看護を受ける必要があつたと認めることはできないが、右入院期間中のその余の期間(計一六日)については、付添の必要性はあつたものと推認されるところ、前掲甲第二四号証、証人松本喜志夫の証言及び弁論の全趣旨によれば、その間松本医師か原告の母が付き添つていたこと、たずみ病院は原告の自宅からは遠隔の地にあり、右付添のためには交通費等を必要としたものと認められるから、原告は一日当たり六〇〇〇円、合計九万六〇〇〇円の付添看護料相当の損害を被つたものと認めるのが相当である。

3  入院雑費(通信費を含む) 一一万〇五〇〇円

原告が、本件事故による受傷のため、昭和五九年五月二〇日から同年七月二二日まで入院したことは当事者間に争いがなく、右入院の必要性は前認定の治療経過から明らかであり、前認定の原告の受傷内容、治療経過に、たずみ病院は原告の自宅から遠隔の地にあつたため通信費等の雑費をより多く必要としたであろうことを考慮すれば、原告は右入院期間中に、自宅への通信費を含め、福知山病院入院中(二五日、但し、たずみ病院との重複分は控除した。)につき一日当たり一三〇〇円、たずみ病院入院中(三九日)につき一日当たり二〇〇〇円、合計一一万〇五〇〇円を下らない雑費を要し、同額の損害を被つたものと推認される。

なお、原告は、治療期間中の諸雑費及びたずみ病院入院中の通信費として、請求原因3(二)(3)の<1>ないし<17>及び同3(二)(9)記載の各金額の損害を被つた旨主張しているが、そのうち3(二)(3)の<1>ないし<3>については、原告の前記症状経過からみて、原告が一定期間松葉杖及び車椅子の使用を必要としたであろうことは容易に推認され、エアーマツトについても、その使用の必要性が肯定されるとしても、その期間はこれらの耐用年数に比べるとごく短期間であると考えられるので、これらを原告がその父の経営する松本病院から自己の負担で買取らなければならない必要性があつたものとは認め難く、その他の費用についても、仮にこのような支払がなされたとしても、治療のためにのみ使用されるのではない物の購入費用が含まれていることや、退院後に松本病院から借り受けた物品の賃料である点を考慮すると、当然にその総額について本件受傷の治療のために必要であつたとは認められず、必要性を肯定すべき範囲を認定すべき証拠も存在しないので、前記定額の雑費を超える部分については、その必要性を肯定することはできず、本件事故との因果関係を肯定することはできない。

4  医師・看護婦への謝礼 三〇万円

前掲甲第二四号証、証人松本喜志夫の証言及び弁論の全趣旨によれば、福知山病院における原告の事故当日の手術に際し、当日は日曜日で、病院には当直医しかいなかつたので松本医師が知人の民間医二名に応援を依頼して原告の一般状態の管理に当たつてもらい、同医師らに対し、謝礼として各五万五〇〇〇円を支払つたことが認められる。

また、原告は、右のほかに右第一回手術の執刀医に対して一五万五〇〇〇円、昭和五九年六月七日の福知山病院における第二回目の手術の執刀医に対して一五万五〇〇〇円、同手術に際し福知山病院が依頼した応援医二名に対して各五万五〇〇〇円、たずみ病院における手術の際の執刀医に対し一五万五〇〇〇円、応援医ら四名に対し各一〇万五〇〇〇円の謝礼を支払うとともに、福知山病院における第二回手術及びたずみ病院における手術の際に、医師らに対して飲食物を提供し、その費用として九万円を支出し、さらに、福知山病院及びたずみ病院の看護婦らに対しても合計四三万円の謝礼を支払つた旨主張し、原告の父である松本医師が後記認定のとおりかなりな規模の病院の経営者である点を考慮すると、原告の治療に関連してたずみ病院の医師、看護婦及び応援医らに対し、相当額の謝礼が支払われたであろうことは、容易に推認されるところである。

しかし、医師、看護婦に対する謝礼は社会一般においてある程度慣例化しているとはいえ、国立病院の医師、看護婦については、むしろ昨今では謝礼は受け取らない傾向にあることは公知の事実であり、福知山病院の医師、看護婦らが原告からの謝礼を受け取つたとしても、それは原告の父が前記のような地位にあつたという特殊な事情によるものと考えられるうえ、右謝礼は社会一般の常識の範囲を超える高額なものというべきであり、前認定の原告の受傷内容、治療経過を考慮すると、前記のような原告の父の特殊な地位を考え合わせても、相当な謝礼の範囲に属するものとして、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る額は、松本医師が事故当日の手術の際に自ら応援を依頼した二名の民間医に対する分を合わせて三〇万円と認めるのが相当てある。

その余の部分は、必要性または相当性を欠くか、特殊な事情によるものとして、本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。

5  たずみ病院への転院費用及び通院費用 二〇万円

原告は、たずみ病院への転院費用及び退院後の通院費用として合計六四万七五〇〇円を要した旨主張し、前掲甲第二四号証には右主張に副う記載があり、また、証人松本喜志夫の証言中には、原告のたずみ病院への転院に際して、当初予定していた松本病院のライトバンでの移動は、車の振動のために原告が受傷部の痛みを訴えることからこれを断念し、松本病院の大型車をその後部の座席を取り払つて原告のベツドがそのまま積めるように改造して移動したので、その改造費用及び復元費用を要したほか、右移動に際して松本病院の医師、看護婦、医療技術者らを同行させ、さらに昭和五九年八月一日と同月一七日のたずみ病院への通院の際にも右改造車を利用し、各回ごとに松本病院の医師、看護婦らを同行させたため、原告主張のような経費を必要としたとの供述部分があるが、前認定の原告の症状経過からすると、原告の転院に際しては、輸送のための費用だけでなく、輸送中医師及び看護婦の付添を必要とし、そのための費用も合わせて相当額の費用と要したであろうこと、及びできるだけ振動の少ない形で原告を移動する必要があつたであろうことは容易に推測されるものの、原告の父親である松本医師の前認定のような地位に鑑みると、適当な寝台車等を借り受けることが困難であつたとは考えられないので、車の改造の必要性は疑問というべきであり、その他の転院及び通院のための費用についても、原告の主張する額は、過大に過ぎ、その内容の点においても必要性に疑問のある部分が含まれているので、本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を求め得る転院及び通院費用の額は、そのうちの二〇万円と認めるのが相当である。

6  松本病院への医師補充費について

原告は、事故当日から昭和五九年八月二〇日までの間は平日の昼間以外は原則として松本医師が原告に付添い、その間松本病院に他の医師を補充する費用として四一七万円を要した旨主張し、証人松本喜志夫の証言中には、右主張に副う供述部分があり、また、前掲甲第二四号証にも、原告主張の前記期間中に平日六二日、土曜日一三日、日曜日一一日の合計八六日間、時間外(休日)の当直医を補充し、その費用として三四七万円を要した旨の記載がある。

しかし、右記載内容に弁論の全趣旨を合わせ考えれば、事故当日から昭和五九年八月二〇日までの間は、福知山病院及びたずみ病院入院中を含めてほとんど連日原告の付添のために当直医を補充したことになるが、前認定のとおり、入院中の原告は、貧血状態が継続し、骨髄炎の感染や循環障害による右下腿の壊死のおそれがあつたとはいえ、国立病院や比較的規模の大きいたずみ病院(証人松本喜志夫の証言によれば、ベツド数は一五〇前後で総合病院に近い形態であることが認められる。)に入院中の原告に職業付添人のほかに常時医師の付添が必要であつたとは認められないばかりでなく、前認定のとおりたずみ病院が遠隔の地にある点を考慮すると、同病院入院中の平日に松本医師が原告に付添い、そのために当直医の補充を要したものとは認め難く、さらに、前掲甲第二六号証及び証人松本喜志夫の証言によれば、松本医師は平成二年三月現在でベツド数一八〇、松本医師以外の常勤医二名(但し事故当時は一名)のほか、一〇名前後の非常勤医を擁するかなりの規模の病院であること、松本医師の自宅は福知山市内記に、松本病院は同市土師宮町二丁目にあつて、松本医師の自宅と松本病院とが同一敷地内または隣接しているわけではないことが認められ、これらの事実に照らすと、本件事故による原告の受傷という事実がなくても、松本病院においては平日の夜間、土曜日の午後、日曜・祝日等には非常勤医による当直勤務が行われていたものと推認されるから、松本医師が原告に付添うために前記のような多額の費用を要したものとは認め難く、他に原告主張のような医師補充の必要性と必要な補充費用の支出額を特定して認め得るような証拠は存しない。

7  交通費について

原告は、松本医師が原告の治療及び付添のために福知山病院へ往復したタクシー代及び福知山病院との連絡のための交通費として合計八万六八六〇円を要した旨主張し、前掲甲第二四号証中には、右主張に副う記載があるが、右記載はその明細が明らかでなく、右支出自体を直接に裏付けるタクシー領収書等の証拠は提出されていないうえに、松本医師の付添の必要性を肯定し難いことは前記のとおりであり、前認定の定額の入院雑費に加えて福知山病院との連絡のための交通費を損害として認めるのを相当とするような支出の必要性を認めるに足る証拠は存しない。

8  自宅改造費 四一万九五〇〇円

前認定の原告の後遺障害の内容、前掲甲第一二号証、証人松本喜志夫の証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二七号証の一、二及び同人の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故による受傷の後遺障害のために和式トイレでの用便が困難となつたため、自宅の和式トイレを洋式に改造し、その費用として一〇万円を要したこと、原告は、退院後相当期間はギプス固定等による右下肢の関節の運動制限があり、また本件受傷のために右膝外側の側副靭帯がやや緩んだことから、右膝に荷重が掛かる際に膝の安定を欠き易く、現在は階段の昇降に支障はないものの、昭和五九年八月ころには、当時の原告の症状から階段の自力での昇降に相当の困難が予想されたために、原告の自宅の玄関から公道までの間の十数段の階段に金属製の手摺を設置し、その費用として三一万九五〇〇円を要したこと、現実にも原告は自力歩行開始当初には階段の昇降には手摺があることが望ましい状態であつたことが、それぞれ認められ、右事実によれば、これらの費用は本件事故と相当因果関係のある損害であると認められる。

9  後遺障害による逸失利益 一一六五万二一〇八円

前認定の原告の後遺障害の内容及び程度(但し、下肢の露出面の醜状痕は労働能力に影響がないので、これを除く。)に、原告の大学における講義、実習等の受講状況及び生活状況を考え合わせれば、原告は右後遺障害により、就労可能期間を通じ平均してその就労能力の一四パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

ところで、証人松本喜志夫の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故当時、原告は満一七歳(昭和四二年一月二日生)の健康な女子で、京都共栄学園高等学校三年に在学し、父松本医師の後継者たるべく大学の医学部を目指して受験勉強中であつたこと、本件事故後の昭和六〇年四月に東京女子医科大学に入学し、平成二年六月現在同大学六回生として在学し、六回生として必要な単位は取得していることが認められ、医科大学及び大学医学部の卒業生の大部分が卒業後直近の医師国家試験に合格していることは公知の事実であるから、原告については、平成三年三月に同大学を卒業し、同年度の医師国家試験に合格して、医師法一六条の二所定の二年間の臨床研修を行つたのち、二六歳から医師として稼働する高度の蓋然性があるというべきであるところ、成立に争いのない甲第三〇、第三一号証及び弁論の全趣旨により真正に成立したもので認められる甲第二九号証によれば、平成二年現在の臨床研修医の給与月額は一五万二二三〇円であり、臨床研修終了直後の医師の大阪府及び京都府所在の国公立病院に勤務した場合の初任給は年額で少なくとも四六二万九六〇〇円であり、民間病院に勤務した場合もこれを下回ることはないことが認められるから、臨床研修期間については右臨床研修医の給与月額を、臨床研修終了後は右国公立病院の初任給を基礎収入とし、研修終了後の医師としての就労可能期間を二六歳から六七歳までの四一年間として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の後遺障害による逸失利益の本件事故当時の現価を算定すると一一六五万二一〇八円(一円未満切り捨て)となる。

(計算式)

152,230×12×0.14×(7.2782-5.8743)+4,629,600×0.14×(24.7019-7.2782)=11,652,108

なお、原告は、本件受傷による後遺障害により、その労働能力を少なくとも三五パーセント喪失したと主張し、証人松本喜志夫の証言中には、外科医は内科医に比し一〇ないし一五パーセント高い収入を得られるところ、原告は右後遺障害、特に循環障害のために外科医になることは不可能であり、内科医としても後遺障害により勤務条件に制約を受けるので、この点でも相当の減収を余儀なくされるから、その労働能力の四〇パーセント程度を失つていると考えられるとの供述部分があるが、原告の後遺障害の内容は前認定の程度であり、診療科目の選択の仕方によつては医師としての就労にさほど大きな制約を受けないとも考えられるうえ、循環障害についても、原告はいまだ若年であるから時日の経過とともに側副血管の形成等によつてさらに回復する可能性もあると考えられ、外科医と内科医の収入の差を言う部分についても、信頼できる統計資料等を根拠とするものではないことがうかがわれるうえ、同証言中にも科目の選択による将来の収入差は明確なものではない旨を述べる部分があり、さらに、同証言によれば、松本病院の診療科目は、脳神経外科・内科・理学診療科の三科で、患者数は内科と外科がほぼ同数であり、医師の数は内科の方が多いことが認められるので、原告が前記後遺障害のために外科医になれないとしても、内科医として同病院に就労することは可能であり、その場合原告の努力次第で一般の医師に劣らない収入を得る可能性もないではないと考えられ、これらの点を考慮すると、同証言中の前記供述部分は採用できない。

もつとも、前掲甲第三〇号証によれば、京都府の民間病院における医師の初任給の平均額が年額で五八三万六八〇〇円であることが認められるが、同書証によれば、右金額は、京都私立病院協会が全会員一六九病院に対して行つたアンケート調査の結果によるものであるところ、右アンケートに回答した病院は七六病院で、そのうち医師の初任給について回答しているのは約半数に過ぎないから、右金額は、臨床研修終了後も常勤の勤務に就くことなく研究を続けるということも考えられる一方、前記のとおり後遺障害による減収が生じない可能性も考えられ、不確定の要素があると言わざるを得ない原告の逸失利益を算定する際の基礎収入として採用するのは相当ではなく、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

10  慰謝料 四八〇万円

前認定の原告の受傷内容、治療経過並びに後遺障害の内容及び程度、その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、本件事故によつて原告が受けた精神的・肉体的苦痛に対する慰謝料としては、四八〇万円が相当であると認められる。

11  弁護士費用 一一四万円

原告が、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任したことは訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は一一四万円と認めるのが相当である。

四  損害の填補(抗弁)

1  請求原因四(一)の事実については当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第三九号証及び証人福井康雄の証言によれば、被告会社は、昭和五九年六月二八日ころ、本件事故により使用を必要としたタクシー代の弁済として三三〇〇円を原告に支払つていることが認められるから、原告は、本件事故による損害につき、七八六万八七九〇円の填補を受けたことになる。

2  被告会社が、昭和六〇年一月三一日、原告に対し、前記1の支払とは別途に、七〇〇万円を支払つたことは当事者間に争いがない。

3  右1、2によれば、原告は、本件事故による損害につき一四八六万八七九〇円の損害の填補を受けたことになるので、三で認定した損害額合計二七四五万七七七三円から右補填額を控除すべきであるところ、原告は、前記2の七〇〇万円の支払に際し、原告と被告会社間でこれを原告が同日までに積極的に支出した請求原因3(二)の(1)ないし(10)記載の各費目の損害額から1のうちの争いのない支払額を控除した残額に充当する旨合意しているところ、右合意には、請求原因3(二)の(1)ないし(10)記載の各費目の損害額合計から1のうちの争いのない支払額を控除した残額が七〇〇万円であることの合意(右七〇〇万円は右各費目の損害にのみ充当され、その余の費目の損害には充当されることはない旨の合意)が成立している旨主張するので、検討するのに、成立に争いのない乙第三六号証(昭和五九年一月三〇日付の原告の代理人である旨を表示した松本医師作成の七〇〇万円の領収書)には、但書として「昭和五九年五月二〇日より年一二月三一日まで、松本有子治療療養に関する医療費以外の諸経費一切の充当分として」との記載があり、証人福井康雄、同松本喜志夫の証言によれば、右は昭和六〇年一月三〇日に被告会社が当時原告の親権者であつた松本医師に対して七〇〇万円を支払つた際に被告会社に交付された領収書に、松本医師が交付の場所で記載したものであることが認められ、これによれば、原告と被告会社間に、右七〇〇万円を昭和五九年一二月末までに発生した本件事故による医療費以外の積極損害に充当する旨の合意が成立したことが推認できるかのようであるが、証人福井康雄、同松本喜志夫の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下のような事実が認められる。

(一)  原告の父松本医師は、昭和五九年九、一〇月ころに、本件事故に関連して同医師が支出した諸費用を網羅掲記して、その合計額一〇五一万二八九〇円を本件事故による損害として被告会社に請求する趣旨のものとして前掲甲第二四号証のメモ書きを作成し、これを被告会社福知山営業所の担当者に交付したが、右担当者がこれを異常に高額であると判断したこともあつて放置していたため、同年一二月二〇日ころ、被告会社の大阪本社に架電してこれについての善処方を求めた。

(二)  そこで、被告会社では、総務部の訴外福井康雄(以下、「訴外福井」という。)を担当者として、右電話の直後ころ、松本医師を訪問させたが、その際、訴外福井は松本医師から甲第二四号証の内容の一部について若干の説明を受けた。その後、訴外福井が藤本車の任意保険の付保会社である大東京火災海上保険株式会社の担当者に甲第二四号証の内容の検討を依頼したところ、甲第二四号証記載の費目のうち本件事故と相当因果関係のある損害として保険金でカバーされるのは三〇万円前後に過ぎず、それについても領収書類が必要である旨の回答を得たので、これを受けて被告会社内で原告に対する支払額とその趣旨について検討した結果、全損害に対する内払金として二〇〇万円を支払うこととし、訴外福井が昭和五九年一二月三〇日ころ、松本医師を訪問して右金額の提供をしたが、松本医師は、原告の受験勉強を心配する親としての気持ちから出たもので、社会通念からみれば過剰な請求であるとの認識は有していると述べながらも、二〇〇万円は余りに低額であるとして受領を拒絶し、被告会社の担当役員等の来訪を要求して、訴外福井との話合いに応じず、請求項目ごとの検討もしなかつた。訴外福井は、昭和六〇年一月中旬ころにも、本件事故の謝罪の意味合いも含めて、被告会社の専務取締役、福知山営業所長とともに原告宅を訪れたが、この時も請求項目ごとの検討はされておらず、具体的金額の提示もされていない。

(三)  その後、被告会社は、前記のような松本医師の態度等も考慮し、原告の請求項目とは無関係に全損害の内払の趣旨で七〇〇万円を支払うこととし(被告会社は、これを保険金から回収する予定であつた。)、訴外福井が、昭和六〇年一月三〇日に右金額の小切手を持参したところ、松本医師は、右七〇〇万円の趣旨やそれが原告の請求内容のうちどれを認めたものであるか等を尋ねることなく、これを受領し(訴外福井も七〇〇万円の趣旨を積極的には明らかにしなかつた。)、右七〇〇万円の領収書として乙第三六号証を発行し、その「但し」とある不動文字以下の部分に「昭和五九年五月二〇日より年一二月三一日まで、松本有子治療療養に関する医療費以外の諸経費一切の充当分として」と記載したうえで、これを訴外福井に交付した。訴外福井は、右記載を見て、松本医師が七〇〇万円を原告の請求内容に対して支払われた趣旨の金であると理解しているのではないかとの不安を持つたが、この点を問い質して今後の示談の円滑な進行を害するのは得策でないと考え、そのまま領収書を受けとつて辞去した。

なお、当日、右領収書以外に覚書、示談書等の書面は作成されていないし、訴外福井と松本医師との間で、甲第二四号証の請求金額中の七〇〇万円を超える部分及び昭和五九年一二月三一日までに支払われた経費で同書証に記載されていないものをどうするかが話し合われたことはなく、また、松本医師がこれらの支出についての損害賠償請求権を放棄する旨の意思を表示したこともなかつた。

右認定の各事実、ことに原告の親権者であつた松本医師と被告会社間で、原告の請求項目ごとの損害額についての検討も、七〇〇万円を超える部分をどうするかについての話合いがなされたこともなく、松本医師が七〇〇万円を超える部分の請求権を放棄する旨の意思を表示したこともないこと、及び右時点においては、前認定のとおり、原告の症状はいまだ固定していなかつたが、前認定の受傷内容、治療経過等からみて後遺障害も残り、相当額の慰謝料等の支払が十分予想される状況であつたことなどの点を考慮すると、乙第三六号証の領収書に前認定のような記載があり、被告会社が右記載に明示的に異議を述べないで右領収書を受領したというだけで、原告と被告会社間に原告主張のとおりの合意が成立しているものと認めることはできず、他に原告主張の合意の成立を認めるに足りる証拠は存しない。

従つて、原告の前記主張は採用することはできない。

4  そうすると、原告は三で認定した各損害額の合計二七四五万七七七三円に対して、計一四八六万八七九〇円の填補を受けたことになる。

五  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告らに対し、一二五八万八九八三円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五九年五月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 本多俊雄 中村元弥)

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